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アメリカのオレンジ計画と大正天皇

「近現代史を学ぶ会」(代表:佐藤和夫氏)主催の講演のビデオと要約で本書の内容を紹介します。

 

   各改訂版「オレンジ計画」

明治39年版:
対日本戦略は陸軍とは交戦せず、経済封鎖と海軍の戦いとする

明治45年版: 
沖縄を占領して日本攻撃の基地にする

大正13年版 
関東大震災を参考に東京大空襲を策定
昭和11年版 
サイパン占領により日本海軍の主力艦壊滅する(=
レイテ沖海戦)
昭和16年
F.ルーズベルト大統領が「オレンジ計画」を断行

はじめに

ビデオでは、アメリカが「オレンジ計画」を改訂しながら練り上げていく過程について話しています。
 著書はアメリカの「オレンジ計画」と、本国内の政治と陸・海軍の状況を併せて太平洋戦争に向かう時代の波濤を描いています。

ビデオの内容

08:43~

1.オレンジ計画策定の背景

09:11~ 背景はハワイ(侵略・併合)問題
14:38~ 最初のオレンジ計画策定はハワイ併合の1年前
15:44~

2.日露開戦七年前にセオドア・ルーズベルト海軍次官が「オレンジ計画」を策定
3.セオドア・ルーズベルトとマハンの実像

16:20~ アルフレッド・マハン提督

16:44~ ペリーの日本来航はマハン少年が12歳のとき
17:49~ ペリー艦隊のノーフォーク港出港を見送る
19:57~ マハン:幕末の混乱期に海軍少佐として来日
25:20~
4.セオドア・ルーズベルトとマハンがアメリカ海軍強化を推進
25:09~ 司馬遼太郎の甚だしい認識違い
31:38~
5.「一九〇六年版オレンジ計画」-日露戦争直後
35:02~ 強い日本陸軍は中国大陸で戦わせ、アメリカは海軍と戦う
35:42~ 対日戦争は「経済戦争」とする
37:04~ 「補給の問題」を重視する。日本の貨物輸送を妨害して完全封鎖する
39:15~ 軍事・経済・補給力の三点セットの構想力
40:46~ 日本の鉄道網を攻撃目標とする
41:18~ 東京大空襲3人男  ウィリアム・ミッチェル准将(通称ビリー)、ヘンリー・アーノルド少佐(のちに陸軍大将)、カーチス・ルメイ少将
41:36~ 東京大空襲作戦は、関東大震災を研究して策定
42:59~ 一般民間人への直接攻撃を立案
44:07~ 非人道的な作戦を立案したウィリアム・ミッチェル准将はクビ、除隊となる
44:35~ ヘンリー・アーノルド少佐も左遷
45:06~ 昭和3年、長距離爆撃機B29の完成により日本本土爆撃が可能に。生産目標9000機
46:10~ ヘンリー・アーノルド少佐は復活。1942年に陸軍大将、陸軍航空軍司令官
46:52~ 日本に対する第21爆撃集団(ヘイウッド・ファンクセル准将)の軍事施設限定爆撃は生ぬるい、と批判
47:28~ 司令官をカーチス・ルメイ少将に代えて、焼夷弾による無差別攻撃へ

■6. サンフランシスコ日本人学童隔離問題
49:40~
7.「一九〇七年版オレンジ計画」とアメリカ艦隊の太平洋巡航
52:03~ パナマ運河が必要だ!52:33~ 補給基地としてハワイを軍港化
53:47~ 漸く日本は1907年のアメリカ艦隊横浜入港によりオレンジ計画の存在に気づいたか56:55~
8.「一九一一年版オレンジ計画」 第一次世界大戦の三年前
57:06~ 沖縄をアメリカが占領して日本攻撃の基地とすることが、日本を経済封鎖して通商路を断つのに効果的であると喝破
58:33~
9.「一九一四年版オレンジ計画」―日本人移民排斥運動と連結
1913年ころアメリカの新聞に反日記事が溢れていた。なぜこの時期になのか、
59:26~ 「黄禍論」の研究は未だ不十分
1:02:20~ 一説に日英同盟をから米英同盟への分断工作
1:06:45~ 幕末期の人口3000万人から倍増した人口対策と農業面:アメリカが日本人移民を排斥するなら残る選択はブラジルか満州への入植しかない
1:07:11~ 人口問題と工業の発展:原材料輸入には通商の確保が不可欠
1:08:21~ 満州開拓邦人の安全保護のために、陸軍は必然的に大陸へ
1:08:44~ 1914年版「オレンジ計画」の主眼は日本陸軍との戦いを回避して、海軍との戦いに専念すること
■10.F・ルーズベルトが「一九一四年版オレンジ計画」を実戦的軍事計画へバージョンアップ■11.「オレンジ計画」は第一次世界大戦で最大矛盾に直面
■12.日本は第一次世界大戦で日英同盟に基づき英米陣営に参加

1:12:36~
13.マハンが黄禍論を梃子に日英同盟破棄を働き掛けていた
1:13:47~ 「オレンジ計画」の最大の障害は日英同盟
1:14:22~ マハンから英国のクラーク大佐への書簡。「日本人移民を認めるくらいなら、戦争を決意する。このままなら英国と敵対関係になる」と脅した
1:16:04~
14.「一九二三年版オレンジ計画」―オレンジ計画ほぼ完成
1:17:25~ 1922年、全てのアメリカ艦隊は大西洋から太平洋岸に移動した
1:17:50~ 軍艦の燃料が石炭から石油へ転換
1:18:53~ 日露戦争勝利の要因の一つは、石炭燃料の備蓄が豊富だったこと
1:20:21~ 1923年版:日本への石油の供給を断つ海上封鎖
1:23:03~
15.「オレンジ計画」の休眠 一九二四年~一九三三年
1:23:57~ 最近日本で注目される『フーバー大統領回想録』。解説本は『日米戦争を起こしたのは誰か~ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず~』
1:24:35~
16.フランクリン・ルーズベルト大統領が「一九三六年版オレンジ計画」を策定
1:25:10~ クルーガー陸軍大佐が日米海軍の最終決戦はマリアナ諸島と提案
1:27:10~ サイパン占領により日本海軍の主力艦を誘き出して壊滅(レイテ沖海戦)
1:27:37~ サイパン、テニアンから長距離爆撃機で日本本土を直接爆撃する
1:28:00~ B29(昭和17年完成)のサイパンからの航続距離は8,000キロ。日本が射程内。1:28:54~ 日本が2年間で講和に持ち込んでいればB29は完成しなかったかも
1:29:20~

17.「オレンジ計画」への懐疑一九三七年~一九四〇年
1:30:16~
18.合衆国艦隊司令長官リチャ-ドソン大将は太平洋戦争を回避しようとした
1:31:01~「オレンジ計画}は19世紀的で野蛮な帝国主義侵略思想に基づくもの」
1:31:18~ ルーズベルト大統領が太平洋艦隊にサンディエゴからハワイ真珠湾へ移動命令(昭和15年5月) リチャードソン大将は「日本海軍を刺激する」と反対
1:33:03~ 昭和16年2月リチャードソン大将は少将に降格、司令官を解任される
1:33:29~ これが実質的な日米開戦とも言える
1:33:46~
19.F・ルーズベルト大統領が「オレンジ計画」を断行―一九四一年(昭和十六年)

 



 

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